2012年8月11日土曜日

被災地を訪ねて


 去る6月4~5日の二日間、聖公会神学院校友会(同窓会)の主催で行われた東日本大震災の被災地を見学してきました。今回ほど「百聞は一見にしかず」という諺を身に染みて感じたことはありませんでした。これまで何度もテレビなどで現地の映像を見てきたのですが、何ともすさまじい状況に圧倒され続けました。その行程のほとんどは車の中からの見学でしたが、まさにゴースト・タウンと化した街、しかも殆ど基礎だけが残された荒涼とした荒地、その中にポツンとそびえている大きなビル、近づいてみると躯体だけが残りとても建物とは言えない姿、ある所では自動車の残骸の山、その一角で黙々と瓦礫の撤去作業をしている人々、大型の機器で大量の瓦礫の運搬をしている人がいるかと思えば、極少量のものを手作業で分類しながら黙々と袋詰めにしている人々、今でもその光景はわたしの目に焼き付いています。当初は、年も年だしボランティア活動も思うにままならない中で「とにかく来てお金を落として行ってください」との言葉に甘えようかな、との単純な気持ちで参加したのですが、今振り返っても有意義な旅であったと思います。今回は陸前高田市、南三陸町が中心で、原発事故による被災地にはいかれませんでしたが、ここはまたまったく別の意味で大変な様子です。郡山聖ペテロ教会の牧師である越山健三司祭さんの言葉が頭に焼き付いています「礼拝の説教で命の話ができない」。敢えてこのご発言の背景は申しません。これがどのような意味なのか皆さんも考えてみてください。
司祭 ジェローム 村上守旦