2013年8月12日月曜日

自然間の相克


異常気象も毎年ひどくなるように感じられます。これもメディアによれば人為的な要素が強いとのことです。小さな日本列島にも拘わらず、西日本では猛暑、東北地方では集中豪雨といった状況です。
今年、関東地方では7月の上旬に梅雨明けが宣言されました。近年にない早さだとか。しかしこれは自然界の中でも「気象」という限られた部分の現象にすぎません。気象以外の面では例年通りの自然が保たれていたように思います。十株ほどある紫陽花は強い日照りの中でも「まだ私の時期は終わっていませんよ」と主張するがごとくに鮮やかな花を咲かし続けていました。一方、猛暑の中で物足りない一面もありました。真夏の象徴とでも言えるはずの、蝉の鳴き声が全く聞こえませんでした。こちらは地中で「まだ僕の出番ではないよ」とでも言っているようでした。教会の庭でも自然そのものが戸惑っているように見受けられました。自然そのものが異常事態に順応しかねているようです。例年の梅雨明けは7月の20日前後で、このころになると今年も紫陽花の花はしぼみ、蝉の大合唱が始まりました。植物も動物もそれぞれ自分のペースを守っているのだなと感じた次第です。
今回のタイトルとは若干離れるかもしれませんが、わたしたちは多くの自然現象から季節の移り変わりを感じ取ることができます。雪が溶ければ春になる、といったことが典型的な例でしょう。でも、気を付けないとちょっとした先入観に支配される場合があるように思えます。うぐいすが鳴くと春を感じ、蝉の仲間でもひぐらしの鳴き声は秋の訪れを感じます。しかし、原稿を書いているこの時、教会の庭からは、うぐいすとひぐらしが二重奏を奏で、わたしの心を和ませてくれています。
司祭 ジェローム 村上守旦