2014年2月15日土曜日


顕現後第6主日の福音書には「あなた方は世の光である(マタイによる福音書5:14)」という聖句が読まれました。興味深い事に、ヨハネによる福音書ではイエスさまご自身が「わたしは世の光である(8:12)」と言っておられます。ではイエスさまとわたしたちは全く同じ存在なのでしょうか。そのようなことはあり得ませんね。
この二つの聖句を並べて考えるとき一つのヒントになるのが「太陽」と「月」の関係ではないかと思います。光という言葉で一番に連想させられるのは何と言っても太陽でしょう。また太陽を連想すると、同時に思い浮かぶのが月でしょう。わたしが一時生活していたメキシコ・シティの郊外にある古代遺跡に「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」というのがありましたし、旧約聖書の詩編にも太陽と月がセットで記述されているところが何か所もあります(72編5節,121編6節他)。しかし、このように常に一対をなして語られる太陽と月には根本的な違いがあることに既にみなさんお気づきだと思います。太陽は自ら光を発出しているのに対して、月は自ら光を発出している訳ではありません。太陽の光を反射して、その太陽の明るさを地球にもたらしているだけなのです。
このように見ていくと、真理の光を輝かしておられるのはイエスさまのみであって、わたしたち人間は自分自身では決して真理の光を輝かせることができないのだ、との気づきを与えられます。イエスさまの真理の光をわたしたちがきちんと反射させること、このことこそが、神さまがわたしたちに託されていることなのではないでしょうか。万が一にも自分自身が光の源を持っていると考えるならば、その信仰は主の栄光を現すことではなく、自分自身を称賛してもらうことを求めることに他ならないのではないかと思います。主の栄光を現すことのみに専念いたしましょう。
(2月11日 北総宣教協議会主催信徒修養会説教より)
司祭 ジェローム 村上守旦