2021年1月31日日曜日

2021年 聖語

2021年の聖語は
「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい」Ⅱテモテ4:2(聖書協会共同訳)
です。

 わたしたちの教会はコロナ禍の試練の中にあっても、変わらない福音の喜びを宣べ伝え続けてゆく共同体として、礼拝を中心に、昨年実施できなかった諸活動を皆で共に参加して取り組んでいきます。
コロナウィルス感染拡大に伴う非常事態宣言発出に伴い、毎週の聖餐式は再び非公開となっていますが、インターネットや配布物を活用して、信徒と教会との間の距離が離れないように配慮しています。

礼拝休止という事態は、「感染拡大を防ぐための惜しみない犠牲」であり、教会は社会と供に、社会の中で、人々をサポートするために、司祭も信徒もいつも以上に御言葉を自分自身とその人生に問いかけるものとして、聞くことが出来ているのではないかと思うのです。(2021年教会員総会挨拶より引用)

フェルディナンド 竹内亮二

2021年1月6日水曜日

1月の聖句

 

1月の聖句は
「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたは見ることになる。」(ヨハネ1:51)
です。この言葉は旧約聖書でイスラエル民族の礎となるイサクの次男ヤコブの話です。
年のはじめに、天が開かれ、天使たちが上り下りする姿を見て、天使に守られていることを信じて日々強く歩みましょう。
年明けから、新型コロナウイルスの感染蔓延が更に深刻になり、非常事態宣言とともに、横浜教区でも礼拝の休止が検討されています。

このような中でこそ天使たちに守られていることを信じて、迷わず歩んでゆきたいと思います。

2020年12月9日水曜日

12月の聖句

 12月の聖句は

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ1・38)

です。クリスマスのストーリーの中でもいちばん有名な天使ガブリエルによる受胎告知のシーンです。マリアが神の意志をありのままに受け入れ、受容したことにより、イエスは誕生し、クリスマスの物語が始まったのです。


2020年11月1日日曜日

11月の聖句

 11月の聖句は「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・40)です。日本のことわざで言うと、「情けは人の為ならず」のような話ですね。誰にでも優しくできる人には神様も優しくしてくれるという話です。ちなみにこの福音書の続きは「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」と締められています。こちらは「因果応報」のようなものを感じます。




2020年10月4日日曜日

10月の聖句

 

10月の聖句は「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まなければならない」(ルカ13・33)です。
最近になって、芸能人の自死が相次ぎ、普段は命のあり方など気にせずに暮らしている人も、命とは何かを考えさせられているのではないでしょうか。
しかし、自分が天使に守られていて、導かれていると思えば、迷うことも少しは減るのではないでしょうか。


2020年9月6日日曜日

9月の聖句

 9月の聖句は
「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」
(マタイ20:14)です。

聖書には時々このような経済的には理不尽なたとえ話が出てきます。放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11)などもそうですね。需要と供給、労働と報酬との間の経済的原則を全く無視したたとえ話が登場します。
神様のみ心は、私たちの思いをはるかに超えた、慈しみの心であり、報酬ではなく「恵み」なのです。
そう考えると、あえて経済的原則を無視したたとえ話が出てくることにも納得ができるのです。

2020年7月7日火曜日

7月の聖句


7月の聖句は「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」(マタイ9・13)です。
端的に言えば、「完全な方はどうぞご遠慮ください。ここは自分が罪びとであることを認め、恵みを必要とし、成長したいと願っている人たちのための場所です」ということです。神は正しい人よりも罪の重さに苦しむ人に寄り添うと書かれています。そして、教会もそんな罪の重さに苦しむ人に寄り添う人に寄り添う場所でありたいと思うのです。