2011年3月27日日曜日

橋本先生ありがとうございました。

いままで8年間、松戸聖パウロ教会の牧師として我々と共にあった橋本克也司祭が4月1日付で東京教区 神田キリスト教会に転任されることになり、3/27に松戸聖パウロ教会で送別会を行いました。当日は80名の信徒が集まり、橋元司祭との名残りを惜しみました。



以下は、橋本先生が教会だより「YADO」に寄せられたメッセージです。
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キリストの平和
司祭 アンデレ 橋本克也

祈祷書の朝の祈りの中の、「平和のための祈り」は、「永遠の命は主を信じること、完全な自由は主に仕えることにあります」と祈ります。「永遠の命」は、神の救いの実現です。救いは神の恵みのみ業です。「信ずる」という私たちの応答は、神のみ業に私たちも共に参与することができるのです。信じて委ねることに、救いの実現があります。信ずることは、それがたとえどんなに弱くまた、小さくても、私たちの応答に、神様は「永遠の命の恵み」を実現されるのです。「完全な自由」、それは私たちの憧れであり、望みです。それは決して決して現実ではありません。しかし、「主に仕える」という大きな制約と重荷を負おうとする覚悟に、「完全な自由」が身近なものとなってくるのです。それは、イエス様が出会った人々と社会に現された生き方に従いたいと願うことです。
「あなたはあなたでいいんだよ」という声を、神の言葉として聴いて受け入れることは、聖書の福音であり、希望です。「いいんだよ」と言われる「あなた」とは、決して正しく、立派で美しく胸を張っている「私」ではなく、貧しく、醜く、弱く、恥ずかしさと過ちを溢れるほど抱えて行き悩む自分に勇気を出して向かい合い、「これが私だ」とうなずかされることです。
神さまに愛され、キリスト・イエスによって赦され迎えられているのは、かつていつかの私ではなく、また、いつかそれらしくなったときの将来の私でもないのです。最も相応しいとは思えないこの「今の私」こそが神に愛されているのです。
私は松戸聖パウロ教会の牧師として、皆さんと共に8年を過ごさせていただきましたことを本当に感謝申し上げます。「してはいけないことをし、しなければならないことをせず、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯していることを懺悔いたします」と神さまに祈らずにいられません。それでもなおこの私を新しい任地に遣わしてくださる主に感謝いたします。そして、「乏しい私でもいいんだ」と喜んで行きたいと思います。
松戸聖パウロ教会が、神の家族として聖霊の豊かな働きによって、聖書のみ言葉によって強められ、家族の皆が良く語り合い、尊重し合える信頼と協力によって、信じて仕え、一人一人が喜んで捧げられる教会にますます成長されることをお祈りいたします。
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橋本先生が神田教会でもますますご活躍されることをお祈りいたします。
フェルディナンド 竹内亮二

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