好みの問題は別として、信仰の問題はどうでしょうか。キリスト教は長い間「教会の外に救いなし(教父キプリアヌス)」と信じてきました。明治時代に日本に来た宣教師の人々も基本的にはこのような態度だったと思います。キリスト教こそが絶対であると信じきっていたのでしょう。
カトリック、プロテスタントとも、この姿勢は1960年代から変化の兆しが見えてきます。そして現代、キリスト教徒でも他の宗教が持っている霊的価値を否定する人はほとんどいないと思います。いわば、諸宗教名の中でキリスト教も相対化しているといえるでしょう。一方で、諸宗教の中の一つとしてのキリスト教という考えは受け入れても、信仰が相対的であると認められますか。信仰とは私たち一人一人にとって生命をかけた問題です。趣味ではありません。絶対と相対、皆さんもそれぞれどのように考えるかを整理してみると面白いのではないかと思います。
司祭 ジェローム 村上守旦
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