2012年6月3日日曜日

春の雨

「春に三日の晴れなし」と言われます。移動性の高気圧と低気圧が次々と通り過ぎていくためなのだそうです。しかも、今年は北の寒気団がいつまでも日本上空に居座り、例年にない不安定な大気の状態が続きました。従来は、夏の専売特許に近かった積乱雲が発生し、そして竜巻などという日本には縁遠いと思われていた物騒なものが発生し、多くの被害をもたらしたこと、いまだに記憶が鮮明に残っていることと思います。
 このように大災害をもたらす雨は困りますが、しとしとと降る雨はまた鬱陶しくて、心も湿りがちになります。五月晴れの日は心もウキウキします。
 でも、
今年は少し違いました。激しい雨はともかく、しとしとと降る雨を心待ちにするようになったのです。教会の庭に芝生を再生しようとの話が誰からともなく持ち上がりました。信徒以外の方々も含め、ある方は早速ホームセンターから芝床を買ってこられ、またある方は農作業用の小型耕運機で耕しを始めました。今までの芝が残っている部分は生かしながら、名も知らない種々の草(敢えて雑草とは言いません) の生えている部分を新しい芝床に張り替えました。どなたかが「これから大変なのが水遣りだ」と言います。このような訳で雨を待つ心境になった次第です。当初は茶色だった芝床が少しづつ新芽を延ばして行きます。毎朝が楽しみになりました。
 しかしある日大変なことに気付かされました。芝生そのものよりはるかにその他の草の成長のほうが早いのです。別の方の忠告が思い出されました。曰く「芝生をきれいに育てる最大の仕事はその他の草を常に取り除くことだ」と。
 同時に、聖書の箇所を噛みしめつつ小悟りを日課としている今日この頃です「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイによる福音書5:45)」
司祭:ジェローム村上守旦

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