2013年11月28日木曜日

さ・つ・ま・い・も


先日思わぬ差し入れを頂戴いたしました。その日、隣の保育園では年中行事である「焼き芋会」を楽しそうにやっていたのは教会の庭から拝見していたのですが、それが終わってからしばらくすると園長先生がビニール袋を下げて訪れ「ほんのおすそ分けです」と言って焼き芋をプレゼントしてくださいました。この保育園とは普段あまりお付き合いがありませんが、教会のバザーの日は毎年保育園の駐車場をお借りしており、ご婦人の有志がそのお礼にケーキを持参しております。もしかしたら差し入れはそのお返しの意味があったのかも知れません。
その日の昼食は決まりです。ただ、のどに詰まってもいけないと思い、近くのコンビニで牛乳を1パック買ってきました。場所は離れていても今日のお昼ご飯はあの園児たちと同じなんだろうなと思いつつおいしく頂きました。
ところで私にとっては「さつまいも」はあまり良い思い出ではありません。戦中生まれのわたしは子供時代にいやというほどさつまいもを食べて育ったのですが、時節柄現今のようなおいしいものではありませんでした。いくら丁寧に焼いてもガリガリなもの、スジばかりでどうにもならないもの、などばかりでした。当時の銘柄として記憶しているのは「オキナワ」「ノウリン」など、そして色の白い「タイハク」というのもあったようです。これはほかの銘柄に比べて甘みはあったのですが、いつ食べてもベチャベチャ。そんな中、親同士で「キントキ」というのはうまいらしいと話していたのをうっすらと記憶していますが、当時この「キントキ」を口にしたことは一度もなく、まさに幻のさつまいもでありました。そして「代用食」という言葉、今では死語に近いかもしれません。わたしにとっては「さつまいも」と「代用食」はほとんど同義語です。
このような訳で成長してからは、さつまいもは敬遠するようになっていったと思います。あまり楽しくない思いでから半世紀以上経過し、他の農産物同様品種改良を続け、さつまいももずいぶんおいしいものになったのだなあと感慨にふけりながらその日の昼食を頂いたものでした。

集会案内
12月21日(土)三教区合同プロジェクト報告会
12月22日(日)迎えようクリスマス愛餐会
12月24日(火)キャロリング他
司祭 ジェローム 村上守旦

2013年11月1日金曜日

落ち葉の季節

今年は台風による豪雨が続いたせいでしょうか、すっきりした秋空が少なかったように思います。そしていよいよ落ち葉のシーズンを迎えます。教会の敷地内だけでも榎の大木が二本と桜の大木が一本あり、隣の敷地にはわたしが名前を知らない落葉樹が何本もありますから、それらがすべて葉を落とすと庭は落ち葉だらけになります。でも、信徒の方々が目につかない形でお掃除の奉仕をしてくださいますので助かります。
落ち葉の掃除というとある話を思い出します。ある教会に老司祭ご夫妻が住んでいました。このシーズンになると必ずご夫妻で朝早く起き、敷地内だけでなく、教会に接する道路までもきれいにお掃除をされていました。付近の方もそれをよくご存じの様子でしたが特に感謝やねぎらいのの言葉をかける人はいなかったようです。ある朝、老司祭が掃除をしながら独り言のように「近所の人も手伝ってくれるといいのに」と言ったその瞬間、お連れ合いが一喝されました。「あなた、そんな気持ちでやっているなら明日から掃除はやめなさい!」と。これには老司祭も完全に参ったとのことです。

司祭職にあるものは当然のことながら主日の礼拝で説教をいたします。多分「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはいけない(マタイによる福音書6:3)」の個所に関する説教もしたことでしょう。でも司祭といえども人間です。心の片隅にはやはり近所の人も協力してくれるとありがたいのだが、という思いもあったのでしょう。すごいのはお連れ合いでした。このような光景はもしかしたらどの聖職の家庭にもみられることなのかも知れません。
司祭 ジェローム 村上守旦