2012年8月11日土曜日

被災地を訪ねて


 去る6月4~5日の二日間、聖公会神学院校友会(同窓会)の主催で行われた東日本大震災の被災地を見学してきました。今回ほど「百聞は一見にしかず」という諺を身に染みて感じたことはありませんでした。これまで何度もテレビなどで現地の映像を見てきたのですが、何ともすさまじい状況に圧倒され続けました。その行程のほとんどは車の中からの見学でしたが、まさにゴースト・タウンと化した街、しかも殆ど基礎だけが残された荒涼とした荒地、その中にポツンとそびえている大きなビル、近づいてみると躯体だけが残りとても建物とは言えない姿、ある所では自動車の残骸の山、その一角で黙々と瓦礫の撤去作業をしている人々、大型の機器で大量の瓦礫の運搬をしている人がいるかと思えば、極少量のものを手作業で分類しながら黙々と袋詰めにしている人々、今でもその光景はわたしの目に焼き付いています。当初は、年も年だしボランティア活動も思うにままならない中で「とにかく来てお金を落として行ってください」との言葉に甘えようかな、との単純な気持ちで参加したのですが、今振り返っても有意義な旅であったと思います。今回は陸前高田市、南三陸町が中心で、原発事故による被災地にはいかれませんでしたが、ここはまたまったく別の意味で大変な様子です。郡山聖ペテロ教会の牧師である越山健三司祭さんの言葉が頭に焼き付いています「礼拝の説教で命の話ができない」。敢えてこのご発言の背景は申しません。これがどのような意味なのか皆さんも考えてみてください。
司祭 ジェローム 村上守旦

2012年7月1日日曜日

絶対と相対

わたしの若かった頃、乗用車で「コスモ」という車が発売されました。たいそう人気がありましたが、どう言う訳か私はあまり好きではありませんでした。ある日、会社の仲間たちとこの車のことが話題になり、ほとんどの人が「あれは良い」ということになりました。わたしは自分の思いを素直に述べたのですが、ある先輩から痛烈な批判を受けました。「あの車の良さがわからないとは、お前の美的感覚を疑う」と。その人は、自分の美的感覚を絶対的なものと信じていたのだと思います。反論はしませんでしたが、趣味・趣向の問題には、絶対ということはないと今でも思っています。
好みの問題は別として、信仰の問題はどうでしょうか。キリスト教は長い間「教会の外に救いなし(教父キプリアヌス)」と信じてきました。明治時代に日本に来た宣教師の人々も基本的にはこのような態度だったと思います。キリスト教こそが絶対であると信じきっていたのでしょう。
カトリック、プロテスタントとも、この姿勢は1960年代から変化の兆しが見えてきます。そして現代、キリスト教徒でも他の宗教が持っている霊的価値を否定する人はほとんどいないと思います。いわば、諸宗教名の中でキリスト教も相対化しているといえるでしょう。一方で、諸宗教の中の一つとしてのキリスト教という考えは受け入れても、信仰が相対的であると認められますか。信仰とは私たち一人一人にとって生命をかけた問題です。趣味ではありません。絶対と相対、皆さんもそれぞれどのように考えるかを整理してみると面白いのではないかと思います。
司祭 ジェローム 村上守旦

2012年6月3日日曜日

春の雨

「春に三日の晴れなし」と言われます。移動性の高気圧と低気圧が次々と通り過ぎていくためなのだそうです。しかも、今年は北の寒気団がいつまでも日本上空に居座り、例年にない不安定な大気の状態が続きました。従来は、夏の専売特許に近かった積乱雲が発生し、そして竜巻などという日本には縁遠いと思われていた物騒なものが発生し、多くの被害をもたらしたこと、いまだに記憶が鮮明に残っていることと思います。
 このように大災害をもたらす雨は困りますが、しとしとと降る雨はまた鬱陶しくて、心も湿りがちになります。五月晴れの日は心もウキウキします。
 でも、
今年は少し違いました。激しい雨はともかく、しとしとと降る雨を心待ちにするようになったのです。教会の庭に芝生を再生しようとの話が誰からともなく持ち上がりました。信徒以外の方々も含め、ある方は早速ホームセンターから芝床を買ってこられ、またある方は農作業用の小型耕運機で耕しを始めました。今までの芝が残っている部分は生かしながら、名も知らない種々の草(敢えて雑草とは言いません) の生えている部分を新しい芝床に張り替えました。どなたかが「これから大変なのが水遣りだ」と言います。このような訳で雨を待つ心境になった次第です。当初は茶色だった芝床が少しづつ新芽を延ばして行きます。毎朝が楽しみになりました。
 しかしある日大変なことに気付かされました。芝生そのものよりはるかにその他の草の成長のほうが早いのです。別の方の忠告が思い出されました。曰く「芝生をきれいに育てる最大の仕事はその他の草を常に取り除くことだ」と。
 同時に、聖書の箇所を噛みしめつつ小悟りを日課としている今日この頃です「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイによる福音書5:45)」
司祭:ジェローム村上守旦

2012年5月20日日曜日

主人となり、客人となること

松戸聖パウロ教会に派遣されて、あっという間に一年が過ぎてしまいました。4月1日に赴任した時、数名の信徒さんが来て下さり、「ようこそいらっしゃいました」とのご挨拶を頂戴しました。この挨拶は通常主人が客人を迎える時のものだと思います。当初は右も左もわからず、すべてのことを色々な信徒さんにお伺いしていましたから、まさに客人としての域を脱していなかったのかも知れません。でも、そのうちに日曜日に信徒さんをお迎えするに当たって、わたしの方から「ようこそ」とお声をかける自分に気づきました。無意識のうちに主人としての口のきき方になっていきました。
お弟子さんたちの、ご復活されたイエス様との出会いの中に「エマオへの道」のお話があります。二人のお弟子さんがエルサレムからエマオという村に帰る途中、復活されたイエス様が同行された物語です。初めは、彼らはそれらがイエス様をお誘いして「一緒にお泊りください」と声をかけ、イエス様はその申し出をお受けになります。しかし、食事の場面になると、不思議なことにイエス様がご自身のパンを裂いて主人であるはずの二人にお渡しになります。いつの間にか主人と客人の立場が逆転していることに気づかされます。
このことは、わたしたちの教会の中でも起こり得ることではないかと思うのです。牧師と信徒の間のみならず、信徒同士の関係でも、ある時は主人になり、ある時は客人になる、こういう関係が安心できる共同体のあり方でもあるのかな、と感じる昨今です。今後ともよろしくお願い申し上げます。
司祭:ジェローム村上守旦

イースターおめでとうございます "Happy Easter!"

ホームページのアップデートがタイムリーに出来ずに申し訳ありません。少し古い文章になってしまいますが、教会だより「YADO」イースター記念号に投稿された文章を転載します。

顕現説に、礼拝奉仕者を決める係から復活日のアッシャーを拝命した私は、大斎説第5主日「み言葉の礼拝」で真栄田伝道師による「悪魔の誘惑に負けずに聖週を過ごしましょう」という奨励に促されて、聖週全日の礼拝を守ることができた。感謝の極みである。
この間、復活日に受洗される中村裕子姉の名親を武田姉と共に仰せつかった私は、村上司祭と三人で中村姉の教名をセシリアとすることを確認した。
ローマ教会の殉教者(?~230年)であったセシリア(カエキリア)は夫とその弟を回心させた聖女であり、彼女の殉教以前にこの二人も殉教したと伝えられている。セシリアは武田姉の教名でもあり、教会音楽の保護聖人として崇敬されていた由。音楽をこよなく愛し、武田姉にピアノを習っている中村姉にまさに相応しい教名といえよう。
今日の復活日には、第一聖餐式(8時)の7名を加えると、子供11名、非信徒9名を含む97名の老若男女が集い、中村姉とご主人を中心に、心に残る”Happy Easter!”を過ごすことができた。
愛餐式では食事当番が用意して下さった心のこもった美味しいお弁当、サラダ、ケーキや、差し入れのゼリーに舌鼓を打ち、ビールや有志差し入れのコニャック、ワイン、「伊佐美」他の焼酎を味わいながら(因みに呑兵衛さんたちはウッドデッキで満開の桜を肴にお花見!)、感謝のうちに和やかな主にある交わりのひとときを過ごした。
藤谷姉のオルガン伴奏で、中村姉の大好きな賛美歌496番(うるわしのしらゆり)、聖歌482番(いつくしみふかきともなるイエスは)、498番(主われをあいす)の大合唱で大いに盛り上がった愛餐会は、村上司祭のお祈りで3時前にナカジメとなったが、「クリスマス・チャリティ・コンサート」に出演して下さった竹内恵理姉もかけつけてくれて、最後は中村姉の希望でアニーローリーのピアノ演奏でお開きになった。主に感謝!!
テモテ甲藤善彦

2012年4月8日日曜日

イースターおめでとうございます。


イースターおめでとうございます。教会の桜の花もイースターを待ち構えていたかのように開花しました。
昨日は風が冷たかったですが、今日はだいぶ外も暖かくなっています。
 今日は洗礼式もあり、二重におめでたい日となりました。

2012年3月25日日曜日

イースターに向けて

しばらくホームページ更新が出来なかったことをお詫びいたします。

今年も大斎節に入りました。間もなく主イエスさまのご復活を記念するイースターを迎えることになります。イースターの祭りはクリスマスに比べてかなり早くから祝われていたということです。なんといっても、イエス様を救い主キリストと崇める私達の信仰は、イエスさまの直接のお弟子さんたちが復活されたイエスさまとお会いしたことなくしてはあり得ないことだったのです。
自分たちが尊敬していたイエスさまが十字架上で無残な死を遂げてしまって悲嘆にくれていた時、そしてあのユダヤ人たちが自分たちをも捕えて十字架につけられてしまうのではないかと恐れおののいていた時、まさにその時に復活のイエスさまはお弟子さんたちの前に現れて、真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように(ヨハネによる福音書20:19)と仰せになったのです。このお弟子さんたちの喜びは私達の想像を絶するものではなかったかと思います。
今年のイースターは4月8日です。是非、多くの兄弟姉妹とともに主のご復活を祝う礼拝をお献げいたしましょう。
司祭 ジェローム 村上 守旦
イースター礼拝の予定
4月1日 復活前主日(棕櫚の日曜日) 11時 聖餐式
4月2日 復活前月曜日       10時 聖餐式
4月3日 復活前火曜日       10時 聖餐式
4月4日 復活前水曜日       10時 聖餐式
4月5日 復活前木曜日       10時 聖餐式
4月6日 復活前金曜日(受苦日) 10時 聖餐式
4月7日 復活前土曜日       10時 聖餐式

4月8日 こひつじ会         10時
4月8日 復活日            8時 聖餐式
                     11時 聖餐式

4月9日 復活後月曜日      10時 聖餐式
4月10日 復活後火曜日      10時 聖餐式
4月11日 復活後水曜日      10時 聖餐式
4月12日 復活後木曜日      10時 聖餐式
4月13日 復活後金曜日      10時 聖餐式